英語史研究会会報 第3号

 

2000年6月1日

 

   事務局

 

    810−8560福岡市中央区六本松4−2−1

    九州大学言語文化部田島研究室内 英語史研究会事務局 

    電話&FAX 092-726-4656(直通)

    E-mail: tajima@rc.kyushu-u.ac.jp

 

    発行人 田 島 松 二

 

目  次

 

[特別寄稿] 
近代英語研究のすすめ                        小野 捷

研究ノート

中世におけるred goldはやはり原義は「純金」ではないか 渡辺秀樹

古英語及び古ゲルマン語弱変化動詞の歴史的由来 田中俊也

that 再考                         小城義也

新刊書紹介 

最近の辞書史関連図書 浦田和幸

スモレット著『ロデリック・ランダムの冒険』       堀 正広

ゴールディング著『可視の闇』             宮原一成

随想

Gawain-tripの思い出                  竹田津進

はがき通信

 飯田一郎  家入葉子  隈元貞広  下笠徳次  添田 裕
 濱口恵子  東 真千子  水野政勝  大和高行
第3回大会報告                        末松信子

第3回大会研究発表要旨

 松元浩一  末松信子  村田和穂  田島松二

会員消息新入会員事務局から編集後記

 

 

[特別寄稿]

近代英語研究のすすめ

小野 捷(松山東雲女子大学)

 英語史と私を結ぶ縁(えにし)の糸は1960年、私が山形大学文理学部文学科(今の人文学部)に赴任したときに始まります。この年の4月1日主任教授の深町先生に呼ばれまして、「英語史を担当して下さい。但し他の学者が書いた英語史の書物や教科書を使ってはいけない。全部君が自分で作った講義ノートで講義して下さい。英語史は必修科目です。」と言われました。これにはびっくりしました。広島文理科大学では山本忠雄先生の英語史の講義を受講しましたし、前任校の武庫川女子大学文学部ではH. BradleyやL. P. Smithなどの英語史を講読しましたが、まだ自分で英語史の講義ノートを作ったことはないので、急いで英語史関係の文献を沢山集め、新学期が始まる迄もう時間がないので、何日間か徹夜をして大急ぎで詰め込み勉強をしました。その結果先ず世界の語族から始めて印欧語に至り(L. H. Gray, Foundations of LanguageやL. Bloomfield, Languageが大変参考になりました)、次にOE, ME, eModEへと系統立てて講義する必要があること、wordsとgrammarの歴史を並行して教える必要があること(この点ではH. Bradley, L. P. Smith, E. Weekleyなどの英語史は語彙レベルでは詳しいが、文法特に統語法の歴史については記述が不十分であること)などがよく分かりました。今でもその時の講義ノートは残っています。ノート作りの傍ら勉強のつもりでG. H. McKnight, Modern English in the Making の翻訳をこの年から始め、10年余りかかって完訳しましたが、その原稿はまだ筺底に秘められたままです。英文法(必修)の授業ではL. Kellner, Historical Outlines of English Syntaxをやはり英語史研究のために2年間毎週詳しく教えましたが、この本は難解で、相当数の学生が単位を落とし、そのため英文科に入ると大変だぞという噂が飛んで、2回生になって教養課程から専門課程に進学する際に英文科を志望する学生が激減したので、深町教授にKellnerを中止しなさいと命令されて、Curme, Syntaxに教科書を変更しました。しかしなんと言ってもKellnerは名著で、'genitive superlative' のような優れた見解を多く残しています(『英語史概説』p. 205参照)。文法では1960年から改めて、Sweet, Jespersen, Curme, Poutsma, Kruisinga, Matzner (Eng. ed.) の所謂6大文法家の主著をカードに採りながら再読し、それに加えてE. J. Dobson, English Pronunciation 1500-1700 (1957) とF. Th. Visser, An Historical Syntax of the English Language (1963-73) も英語史の講義に必須の文献でありました。概略的に見て形態論は1200年頃迄に、語彙目録は1500年頃迄に、音韻論は1650年頃迄に、ほぼ現在のような状態になりますが、統語法だけが18世紀迄変化が残り、Curme, Syntax (p. ix) が言うように、やっと1800年頃になって現代英語統語法の全体像が形成されます。しかしこれらの文法家から用例を拝借するのではなく、自分の手で実際の作品から私の英語史に載せる用例を採集する必要がありました。私の頭の中には深町教授に言われた言葉が何年も何年も残り、忘れようとしても忘れることは出来ませんでした。絶対に自分の手で英語史の本を作ろうと堅く決心して日夜を分たず、あらゆる努力と費用を英語史研究に注ぎ込んだ訳であります。前述のように必読の研究書を読むことのほかに、OE, MEから1850年に至る主要な資料や文献を集めて、それから用例をカードに採りながら精読し、そこで得たデータを私の英語史講義ノートに入れて、形態論と統語法の歴史的変化も出来るだけ詳細に記述しました。1965年に愛媛大学文理学部文学科(今の法文学部)に転任してからも、依然として英語史は私の担当でしかも必修でありましたのでずっと英語史の研究は続けました。漸く1980年になって『英語史概説』を出版することが出来ました。20年の歳月が流れていました。また1991年には『英語学概論』(共著) の中の第2部で英語史を書くことが出来ました。ここで実例を少し挙げてみたいと思います。例えば 'you (sg.) was ?' という表現が18世紀の英語には存在し、Defoe, Swift, Richardson, Fielding, Sterne, Goldsmith, Smollett, Sheridanなどの作品に出て来る 'informal' な標準口語用法であります: 'and if you was to be made an honest Woman, I should not be angry' (1749 H. Fielding, Tom Jones, bk. 4, ch. 9 (p. 185)) 但しR. Lowthはこの構文を 'enormous Solecism' と非難しています (1762 A Short Introduction to English Grammar, p. 39) (『英語史概説』pp. 252, 264, 295参照)が、AmEでは今も用いられています: "I knew you was an American." "Don't I talk Italian good enough?" "I knew you was an American all right." (1929 E. Hemingway, A Farewell to Arms, ch. 7)(『英語学概論』§10.6.2.2参照)またgood-better-bestという 'suppletion' に拠る比較変化は標準的でありますが、一方で 'suppletion' に拠らないgood-gooder-goodestという比較変化も17?18世紀の英語には存在します:It is the goodest soule (1610 B. Jonson, Alchemist, II. vi. 79)/the purest goodest Company in the World (1712 Spectator, No. 300) これは現代米語方言に残っています:Foxes love corn gooder'n (= gooder than) I do (1938 Rawlings, Yearling, ch. 16)(『英語学概論』§10.5.1.2参照)BrEとAmEの比較研究も英語史には必要であります。二重比較(double comparison)で特に有名な台詞はShakespeareのThis was the most vnkindest cut of all (1599 J. Caesar, III. ii. 187) でありますが、18世紀になるとこの二重比較構文は小説中で方言または卑語(vulgarism)を喋る登場人物の描写に使われて喜劇的効果を上げています。Fielding, Joseph Andrews (1742) のMrs. Slipslop, Tom Jones (1749) のMrs. Honourなどが使っていますが、標準語からは全く廃れてしまいました:[Mrs. Honour] 'it would be more properer to come from your own Mouth' (bk. 6, ch. 6 (p. 291))(『英語史概説』pp. 155, 228, 262 及び『英語学概論』§10.5.1.5参照)もう一つ例を挙げてみましょう。ME初期以来目的を表すためにはfor to 不定詞が用いられ、次第にto の代わりに全ての不定詞用法で広く使用されるようになりました。13世紀が最盛期で、14世紀になると次第に減少し始めます。The Book of London English (1384-1425)に現れたto 不定詞とfor to 不定詞の比率は約5:1であり、15世紀ではさらに減少しますが、作品によって使用率に個人差があります。The Authorized Version (1611)ではfor toを多く用いています:insomuch that they preassed (= pressed) vpon him for to touch him, as many as had plagues (Mark, iii.10) ただし、18世紀に入るともう方言または卑俗語法となり、Fielding, Tom Jones (1749) 中のMrs. Honourの口癖であり、Smollett, Humphry Clinker (1771) 中のTabitha Bramble とWinifred Jenkinsの手紙によく出る癖でもあります:[Mrs. Honour] 'If the best He that wears a Head was for to go for to offer for to say such an affronting Word to me, I would never give him my Company' (bk. 6, ch. 13 (p. 318))/[W. Jenkins] A fellor (= fellow), who would think for to go for to offer to take up with a dirty trollop under my nose (wks, vol. 7, p. 95)(『英語史概説』pp. 125, 265-6参照)

 以上の如く極めて簡単な記述ではありますが、近代英語、特に17世紀から18世紀にかけて英語統語法は大きく変化して、現代英語が形成されていったのであります。しかし個々の言語事実、あるいは構文というものが、変化し、一見消滅したようには見えても、英語を母国語とする民族のどこかの層に生き残っていることも事実であります。例えば 'you was'や 'good-gooder-goodest'などにそれが見られるわけであります。このような近代英語の具体的な事実を(理論のみに偏せず)詳細に研究することによって、近代英語の変化の歴史を明らかにしてゆくことが、私達に課せられた使命であると思うものであります。

(2000年1月26日)

 

小野 捷(おの・はやし)教授略歴

1927年大分市生まれ。1953年広島文理科大学英文科卒。1982年文学博士(名古屋大学)。愛媛大学名誉教授・松山東雲女子大学教授(本年3月定年退職、現在非常勤講師)。

主要著書:『英語史概説』(成美堂、1980)、『英語時間副詞節の文法』(英宝社、1984)、Studies in Idiomatic Expressions of Eighteenth-Century English(大明堂、1985)、『英語学概論』(共著、英潮社、1991)、『近代英語の発達』(共著、英潮社、1993)など。

 

研 究 ノ ー ト

 

中世におけるred gold はやはり原義は「純金」ではないか

  ―OEDの用例と古英語色彩語の研究論文を基に―

渡 辺 秀 樹(大阪大学)

 『英語史研究会会報』第2号、壬生正博氏の red gold の語義に関する研究ノートを読み、深く考えさせられた。というのは、Sisam & Sisam (eds.), Fourteenth-Century Verse and Proseをテキストにした読書会を、20年前の院生の時と数年前の関西の教師の集まりで行なった経験があり、Sir Orfeo の回にこの red gold が出てきて、2回ともその意味が問題視されたからだ。どちらの時も中英語専門の方がOEDなどの定義を引き合いに出し、「これは発色を良くするために銅を混ぜて赤味を帯びた金を指す」のだと結論付けたと記憶する。私は純金を指す定型句ではないかと思ったのだが、反論する材料もなく黙っていた。

 今回の壬生氏の論では、red gold の語義をAuchinleck Version of Owayne Miles中のパラダイスの描写における使用から再検討し、「楽園の門の純なるイメージを想起させる鉱物としてdiamonds やpearlsを使用した例はあるが、合金が使用された例は伝統的に見当たらない。」(p. 5)としている。氏の論ではまず「合金の意味ではそぐわない文脈で使われている」という指摘と、次に「それが Auchinleck Manuscriptに収められた作品である」ことが興味を引いたのだった。

 上記のSir Orfeoであるが、Auchinleck Manuscriptに収められたVersionでのみ2度、gold red (l. 150) , rede gold (l. 362)という句が出てくるのであって、他の2写本、HarleyとAshmoleに収められたVersionでは、後者に対応する行ではただの gold になっている。前者は行末に起きているので、前行の hed と押韻するためいずれの写本でも倒置語順で残ったのではないか。後者は冥界の宮殿の描写中に使われている例で、Owayne Miles 中のパラダイスの描写と平行していると考えられる。他の2つの写本で、この場の描写にred goldを避けてgoldのみにしたのは、すでに red gold の意味が「純金」から「銅との合金」に変化しつつあって、「合金」の意味の可能性を意識的に避けたからではないか。

 OEDは見出し語red (adj.) の3.a.に 'As a conventional epithet of gold'として、古英語から20世紀までの用例11例を引用している。ここの定義では「銅との合金であること」は触れられていないが、見出し語gold の5番の定義を見よ、とのcross referenceがあり、そこには現代の red gold 'gold alloyed with copper' とともに、dead gold 'unburnished gold or gold without lustre', white gold 'an alloy of about five parts of silver to one of gold' などがあげられており、意味を検討するのに参考になる。

 しかしOEDにおいては、見出し語redgoldのみにred goldの用例が引用されているのではない。 'red gold' との検索式でCD-ROM版のtext searchを行えば、他の見出し語中にも総計13の用例が見えることがわかる。その中ではまず見出し語 pure に取られたPiers Plowmanからの例が注目される。

 

1362 Langl. P. Pl. A. iv. 82 A present al of pure Red gold.

 

 ここではpurered gold が共起しているので、red gold がもし銅との合金であれば、oxymoronになってしまうか、光沢の素晴らしさを pureと述べたか、どちらかになろう。そうでなくて、pure red gold というcollocationは「純粋な金無垢」と解釈するのが妥当ではないか。

 また見出し語ceiling, gild, plateには同一作品の同じ行から引用があり、この文によって、天井装飾にred gold が使われていたことがわかる。

 

c1380 Sir Ferumb. 1231 ?e celynge with-inne was siluer plat & with red gold ful wel yguld.

 

この用例が引用されている見出し語から考えるに、red goldとは特に、silver plateと同じく、壁や門柱、天井、器物の装飾用に薄く延ばした金板、金箔を指すのではなかろうか。

 

 そして見出し語red (noun)の方には以下の用例がある。

 

3. †a. Gold. Obs. rare.

c1374 Chaucer Troylus iii. 1335 (1384) They shul for-go ?e white and eke ?e rede. 1390 Gower Conf. II. 88 To the rede and to the whyte This Ston hath pouer to profite. 1677 W. Hughes Man of Sin ii. x. 187 The most Gracious See (saith he) rejecteth none where White or Red (Silver or Gold) makes Intercession.

 

名詞redwhiteと対句をなして「金銀」の意味で、少なくとも14世紀後半から17世紀まで使われていたことがわかるのである。この場合のredは「銅を混ぜた金」であるはずがない。

 一方、MEDにおいても、このred goldは、見出し語goldred において独立した定義欄を与えられているが、興味深いことにその意義解釈に揺れが見られる。見出し語gold においてはこの句は、以下のように「合金」とみなされている。

1. (c) red ~ gold with a small alloy of copper to enhance its color

しかし見出し語red の方では、まず「赤い」状態が火で熱したときの色であるという解釈が提示され、その後には「合金」「純金」とどちらの場合もあるというような曖昧さが見られるのである。

1f. (a) Of the metal gold, gold coins, gold leaf: pure [as shown through becoming red when heated; . . .] ; ~ gold, gold ~, pure or reddish gold

これらには、用例を検討してもどちらかに決めかねる編纂者の迷いが如実に現れている。注意すべきは、「赤い」という形容詞で表される色合いを現代英語のそれと同じであるとの前提のもとに、何故金を赤いというのかを説明しようとしていることである。

 さて、最近古英語の色彩語研究がまた盛んになってきた。その中心人物C. P. BiggamはOld English Blueに続いてOld English Greyを出版したが、次にOld English Redのようなタイトルの本が出版されそうである。("Socio-linguistic Aspects of Old English Colour Terms", Anglo-Saxon England 24 (1995), pp. 51-65のnote 42参照) そうなれば当然この red gold なるエニグマの語義や語誌があきらかにされるであろうが、現時点で「純金」という語義解釈を支持する議論はNigel F. Barleyによって同じくAnglo-Saxon England誌上で展開されている。その "Old English Colour Classification: Where Do Matters Stand" (Anglo-Saxon England 3 (1974), pp. 15-28) によれば、古英語の read, geolo, greneなどと現代英語の red, yellow, green は、示しうる範囲が非常に異なるのであって、現代語の意味範囲をそのまま古英語の対応語に当てはめて考察してきたことに、色彩語研究における落とし穴があったという。そして古英語のread は現代英語のred の表す範囲の一部とyellow の表す範囲の一部を意味範囲としており、これが red gold という連結を可能にしていたと説く。 Old Norseのraud mani 'red moon'という言い回しもその傍証とするなど、説得力のある議論である。(pp. 18-19)

 以上のまとめとして推論するに、まず古英語のread は現代の赤、朱色、オレンジ色、黄土色、黄色までの範囲で、濃くて光沢のある色を指していた。それが純金の濃くて光沢のある黄土色を指すのに使われていた。暖色系の紫やピンク、橙色などが独立した色彩語で表わされるようになるにつれ、red yellow の指し示す範囲は現代語のそれに近い範囲に変わってゆき、それとともにred gold は「銅を混ぜた赤っぽい金」の意味に変わっていった。

 

古英語及び古ゲルマン語弱変化動詞の歴史的由来

田 中 俊 也(九州大学)

 古英語及びその周辺の古ゲルマン語の動詞体系は、次の4種類の動詞のグループによって構成されている。(1) 強変化動詞、(2) 弱変化動詞、(3) 過去現在動詞、(4) 変則動詞である。(1) と (2) はその数が多く、生産的であるが、(3) と(4) は数が限られ、非生産的である。

 (1) の強変化動詞は母音階梯(vowel gradation, ablaut)によって動詞活用(conjugation) が特徴付けられ、それは古い印欧語の特徴を引き継いでいると伝統的には考えられている。(ただし私見では、この見解は妥当ではない。ゲルマン語強変化動詞のアプラウトによる変化は、ゲルマン祖語の段階で、独自に、類推によって獲得されたという Hewson & Bubenik (1997) の見解に賛同するものである。)これに対し、(2) の弱変化動詞では、アプラウトによる動詞形態変化はなく、歯音による過去形(dental preterite) 及び過去分詞形がその特徴となっている。従来、この「歯音過去」の由来を巡る議論は盛んであり、現在でもその決着はついていない状況と言えるであろう(相対立する見解について、Tops(1974)が分かりやすい整理をしてくれている)。

 小論で問題にしたいのは、弱変化動詞の「歯音過去」の由来を巡る議論ではない。むしろ、このことをめぐる盛んな議論に隠れてしまい、従来十分な議論が積み重ねられてこなかった問題を指摘し、それに対する私見を述べることである。 

 弱変化動詞は生産的である。そのためか、伝統的ハンドブックの中などでは、名詞類から作られた動詞(denominatives) というような形で、簡単にその由来を片付けてしまう傾向すらあった。だが、他の印欧語との対応から見て、弱変化動詞の形態が印欧祖語にまで遡る古い形である可能性は十分にある。(例えば、弱変化I類動詞は *-j- という形成素から構成されるが、これは印欧祖語において現在形を構成する *-y- に遡るというのは、比較再建の方法から主張できることである。古インド語では、第IV類動詞がこの形成素を用いた動詞となっている。)しかしながら、同時に、弱変化動詞は何らかの形成素を動詞語基(verbal base) の後に接辞することで構成される点では、動詞語基のみで構成される動詞に比べて「新しい動詞」であるということも主張しうるものである。これまでの比較言語学が教えるところでは、このあたりで議論は留まってしまう。弱変化動詞は歴史的に言ってどのような性質の動詞なのか、本質的な議論はこれまでなかったと言ってよいのではないだろうか。

 長々とした議論を避けるために、私見を述べることにしたい。ゲルマン語の弱変化動詞は、歴史的に言って、その本質は過去現在動詞の末裔にあたるものだと考えられないだろうか。過去現在動詞はその数は限られているものの、古ゲルマン方言に残存している(14の例が実際に確認されている)。だが、英語の歴史を見ても分かるように、歴史が進むに従って、その数はさらに減少して行くものである。(can, may, must などのように、法助動詞として文法化されたものは、その文法化ゆえに生き残ったと言ってよいと思われる。)ここでは詳しく述べられないが、文献出現以前からこの傾向が続いていたと考える根拠がある。文献出現以降の段階の言語構造から言って、過去現在動詞という動詞は、(いみじくもその名前が示す通り)奇妙な動詞である。強変化動詞の過去形に匹敵する形が現在形として使用されるという奇妙さ故に数を減し、文献が出現した段階では14例しか生き残っていなかったのだと私は考える。では、失われた過去現在動詞はどこへ行ったのであろうか。過去現在動詞は、元々、(これまでも一部で示唆されてきたように)静的な意味を表す動詞(あるいは行為者を欠く動詞)だったと思われる(Tanaka 2000 参照)。かなりの部分は、繋辞の発達に伴って、Be + Adjective という形式で表現されるようになったであろう。そして残りの部分では、弱変化動詞に引き継がれたというのが、私見である。(この見解では無論、弱変化動詞の「歯音過去」は過去現在動詞のそれから受け継がれたものだということを含意し、Tops (1974) で整理されている異なる見解のうちのひとつを必然的に取ることとなる。が、それは今は置く。)言葉をかえれば、過去現在動詞と呼ばれる種類の動詞は、元々の動詞体系では極めて生産的であり、それが後になってある言語構造の変化をきっかけに衰退して行き、その生産性は弱変化動詞という「新たな」動詞群によって引き継がれたと考えるものである。(弱変化動詞が極めて生産的になったが故に、今述べたことの例外も生まれるようになった。例えば、ゴート語 wagjan 'shake, move' などは、元々の過去現在動詞とは全く関係なく類推的に生じた動詞だと考えられる。)

 弱変化動詞の歴史的由来についての「着想」の部分だけを述べた。この着想に従って、ひとつひとつの動詞を分析し、従来説明できなかったことの多くが自然に説明されるということを論証しない限り、これは着想(あるいは思いつき)だけで終わってしまう。その作業を進めたいと思っている。(その一部は Tanaka (in progress) で行われている。)

 

参 照 文 献

Hewson, John and Vit Bubenik. 1997. Tense and Aspect in Indo-European Languages: Theory, Typology, Diachrony. Amsterdam: Benjamins.

Tanaka, Toshiya. 2000. "Gmc. Preterite-Presents and IE Nouns of Agency: A Test for the Original Stativity." Synchronic and Diachronic Studies on Language: A Festschrift for Dr. Hirozo Nakano (Linguistics & Philology, 19), ed. M. Amano et al. (Dept. of English Linguistics, Nagoya University) , pp. 291-305.

Tanaka, Toshiya. (In progress). A Historical and Comparative Study of Old English Preterite-Present Verbs. Ph.D. Thesis, University of Manchester.

Tops, Guy A. 1974. The Origin of the Germanic Dental Preterite: A Critical Research History Since 1912. Leiden: Brill.

 

that 再考

小 城 義 也(熊本学園大学)

 that が関係代名詞か接続詞かを判断するのに、コンテクストが決め手になる例の中で最も印象深いのは、DiekstraがAmbiguous that (English Studies 65 [1984])で示した次のHavelokからのものです。

 

Evere he was glad and blithe:

His sorrwe he couthe full well mithe.

It ne was non so litel knave,

For to leiken ne forto plawe,

That he ne wolde with him pleye;

The children that yeden in the weye

Of him, he deden all here wile,

And with him leikeden here file. (947-54)

 

 かつて、Visserは下線部のthatthat he = 'who' と取り、Skeat もテキストの欄外で 'children play with him' と記していて、やはりこのthatを関係代名詞とみていたようです。この解釈では、 'There was no little boy who would not play with him (= Havelok)' ということになります。一方、Diekstraは(実はそれより前にRoscowも)、that が2行上のsoと相関する、結果の接続詞として扱っています。1981年に出版されたHavelokのSmithers版、さらにShepherd (1995)でもそうです。パラフレーズすると、 ' There was no boy so little that Havelok would not play with him (= boy) ' となります。

 Roscow とDiekstra がthatの次のheを Havelokと考える根拠として、それより前の数行で、Havelok の好ましい人柄に言及し、直後でも子供たちが彼との遊びに満足したとか、皆から慕われたと述べていることから、主人公Havelokの屈託のない、積極的な人物像が浮かび上がるというのです。

 シンタックスの記述に際して、精確な読みが基本であることをあらためて思い知った次第です。目下、Piers Plowman におけるambiguous that に取り組んでいます。

 

 

新 刊 書 紹 介

 

最近の辞書史関連図書

浦 田 和 幸(東京外国語大学)

 このところ、国内外で英語辞書史に関する書籍の出版が相次いでいる。その背後には、20世紀の締めくくりとして、過去を振り返り、新たな時代の辞書のあり方を探ろうとする意図が感じられる。以下、昨年から今春にかけて出版されたものを7点挙げる。

<国内>

(1)小島義郎著『英語辞書の変遷--英・米・日本を併せ見て』(研究社, 1999)

 英米の辞書と日本の英和・和英辞典とを対象とし、日本人の視点を入れて書かれた独創的な辞書史である。各時期の代表的な辞書の見本頁の写真図版がふんだんに挙げられ、また記述内容が通時的に比較されているので、英語史の原典資料としても役立つ。またラテン語や古い時代の英語には語注も付けられており、教育的配慮に富む。辞書学の理論と実践に精通した著者の手になる総合的な英語辞書史であり、辞書学という点からも英語史という点からも学ぶところは多い。

 次に、翻訳書として2点を挙げておきたい。

(2) ジョナサン・グリーン著、三川基好訳『辞書の世界史』(朝日新聞社, 1999)

(3) ハーバート・C・モートン著、土肥一夫ほか訳『ウエブスター大辞典物語』(大修館書店, 1999)

 (2)は辞書編纂家の人生と人物像に光をあて、数多くのエピソードを交えて綴った辞書編纂史。(3) は『ウェブスター新国際英語大辞典第3版』(1961) の出版をめぐる論争史である。ともに、辞書と社会との関わり、ひいては言葉と社会との関わりを扱い、興味深い読み物となっている。

<海外>

 4点を挙げる。最初の3点はOUP系の出版物。

(4) Lynda Mugglestone (ed.), Lexicography and the OED: Pioneers in the Untrodden Forest. (Oxford: Oxford University Press, 2000)

 未刊の新たな資料を駆使した、OED 編纂に関する本格的な研究書。12編の論考を収録。巻末には3部から成る付録があり資料として有益。寄稿者の中には、辞書史学者のNoel Osselton ("Murray and his European Counterparts"), 英語史学者のEric Stanley ("OED and the Earlier History of English"), Dieter Kastovsky ("Words and Word-Formation: Morphology in OED"), Richard W. Bailey (" 'This Unique and Peerless Specimen': The Reputation of the OED", "Appendix III. The OED and the Public") などの名前が見られる。

(5) Werner Hullen, English Dictionaries 800-1700: The Topical Tradition. (Oxford: Clarendon Press, 1999)

 古英語期から17世紀末までの主題別辞書(topical dictionaries) を扱う。現在では辞書といえばアルファベット順の配列が常識であり、主題別辞書としてはわずかにRoget's Thesaurus を思い浮かべる程度、というのが一般的な印象であろう。そのためか従来の辞書史ではアルファベット順の辞書の発達に比重が置かれているが、本書は、古くから存在する主題別分類の伝統に焦点を絞ったユニークな辞書史である。単に英国にとどまらず、ヨーロッパの伝統と関連づけて広い視野から記述したもの。辞書史というよりも、文化史といった方が適切かもしれない。

(6) A. P. Cowie, English Dictionaries for Foreign Learners: A History. (Oxford: Clarendon Press, 1999)

 外国人向け学習英英辞典の歴史を、その萌芽期の1920年代から現在まで辿ったもの。かつてわが国で活躍した H. E. Palmer やA. S. Hornby を始め、我々にはなじみの深い人物や事柄が多く登場する。英語史との直接の関連性は薄いが、日本の英語教育史との関わりは深い。海外で出版された辞書史にしては珍しく、我々に共感を与える一書である。

(7) David Micklethwait, Noah Webster and the American Dictionary. (Jefferson, North Carolina: McFarland, 2000)

 アメリカでは「ウェブスター」という名は辞書の代名詞となっているが、本書は An American Dictionary of the English Language (1828) の生みの親であるノア・ウェブスター(1758-1843)の伝記である。ウェブスターは法律と関わりがあり、一時期、弁護士をしていたこともある。また自らが他人の著作に大きく負うているにもかかわらず、他人からアイデアを盗まれるとひどく腹を立て、著作権法の先駆者('a pioneer of copyright law')ともなったようである。本書の著者のMicklethwait は、インターネットの amazon.comの著者紹介によると 'a London attorney specializing in intellectual property law'とのことであるが、この辺に著者の関心の一端がうかがわれる。

 以上、記述の対象や方法は様々であるが、最近出版された辞書史関連図書7点について簡単にふれた。

 言葉は時代を映す鏡であり、その言葉を記録した辞書もまた時代を映す鏡となりうる。もし辞書を一つの「文献」と考えるならば、英語辞書史の知見が英語史理解に資するところは、外面史においても内面史においても決して小さくない。辞書史は、英語史研究の一環としても有効かつ興味深い分野といえよう。

 

トバイアス・スモレット著/伊藤弘之・加茂淳一・竹下裕俊・田畑智司・堀正広・村田和穂・村田倫子訳 『ロデリック・ランダムの冒険』 荒竹出版、1999年12月刊、520頁。

堀  正 広(熊本学園大学)

 熊本大学伊藤弘之教授と門下生による読書会は、20年ほど前の1977年に始まり、各種の英語学関係の論文・著作を読んできた。伊藤教授退官後も熊本学園大学で継続して行われてきたが、その成果の一つとして、昨年12月に18世紀英国小説の傑作であるトバイアス・スモレット作『ロデリック・ランダムの冒険』を荒竹出版から刊行した。これは本邦初訳である。

 この作品は、セルバンテスの『ドン・キホーテ』、ルサージュの『ジル・ブラース』の流れをくみ、作者自身の体験を基にして書かれた波乱万丈の物語で、世の中の不正、裏切り、偽善を風刺するピカレスク・ノベル(悪漢小説)の最高傑作と評されてきた。冒険を愛する英国人の国民性を表わす代表的な作品として重要であると同時に、18世紀の英国社会、風俗を知るため、あるいは物語がフランス、ドイツにも展開するので、当時のヨーロッパの生活、風俗、思考様式を知るための貴重な資料でもある。

 作品では、興味深い物語が展開する中に巧みに風刺がこめられている。たとえば、主人公ロデリックがフランスを旅した際に同行した聖職者は農家に泊まり、その家の娘と関係を結び、翌朝彼女の告解を聴き、ロデリックが寝ている間に財布を持ち逃げする。このような聖職者、裁判官、役人、教師などの、表面は善人を装った者たちの偽善性を暴く描写はスモレットの最も得意とするところであった。その反面、外面的には醜くかったり社会的に地位が低いが内面に美しさを具えている人物たちも登場する。瀕死の重傷を負い、村人や教区司祭から無視されたロデリックを救ったのは、魔女とされていた女性だった。そのほか、凄惨な海戦、軍艦内での虐待、監獄の悲惨さ、酒場での乱痴気騒ぎ、男に騙され娼婦に身を落とした才媛の話等は、まさに18世紀の風俗画家ホガースの画集の小説版といった趣きがある。

 この作品の読書会は1991年から始まった。あらかじめ用意された翻訳原稿を全員で一行一行検討した。英文の解釈の議論はもちろんのこと、日本語の訳語の選択に何時間も費やすことも希ではなかった。というのは、われわれの読書会の目的は翻訳出版もさることながら、各自の学問的知識・視点から議論することによって自らの読みを検証し深め、各自の研究に活かすことにあったからである。

 代表的な英国小説でありながら、これまで日本では翻訳されなかった作品が、熊本における読書会で翻訳、出版されたことは、地域文化の振興だけでなく、日本の文化の発展にもささやかではあるが貢献できたのではないかと自負している。

 

ウィリアム・ゴールディング著/吉田徹夫・宮原一成 + 福岡現代英国小説談話会訳 『可視の闇』 開文社出版、2000年5月刊、470頁。

宮 原 一 成(山口大学)

 本書は、1983年のノーベル文学賞受賞作家ウィリアム・ゴールディングの長編第7作Darkness Visible (1979) の本邦初訳です。ゴールディングはLord of the Flies (『蠅の王』、1954) で鮮烈なデビューを果たして以来、次々に密度の濃い問題作を発表してきました。中でも第2作のThe Inheritors (『後継者たち』、1955) は、ネアンデルタール人の言語中枢を通して外界を描写する独創的文体が話題を呼び、Roger FowlerやM.A.K. Hallidayが著書の中でこれを採り上げていることで、英語史研究会会員の方々の記憶にも留まっているのではないでしょうか。

 今回翻訳した『可視の闇』は、ゴールディングの総決算ともいえる最大の意欲作です。『可視の闇』は1940年のロンドン大空襲の強烈な場面から始まります。この業火の中から一人の少年が、重度の火傷を負いながらも厳かな足取りで歩み出てきます。小説は、この少年が38年後に再び炎に包まれて命を落とすまでを、もう一人の主人公である美少女の邪曲な生き様と平行させながら、実に様々な文体を駆使して描いていきます。ミルトンや黙示録を思わせる宗教色を強く帯びた文体から、ディケンズ風の筆致、ドン・キホーテ的ピカレスクの文体、欽定訳聖書の文体の皮肉なパロディ、低能で幼稚な日記の文章、内向性の高い「意識の流れ」の手法、写実的文体、散文詩文体、戯曲的文体などが、めまぐるしく入り交じっており、ゴールディングの文体操作の力量が十二分に堪能できます。

 翻訳にあたっては、こういった文体の特長を生かすべく最大限の注意を払いました。また、『可視の闇』は非常に凝った構成になっており、作品内にクロス・レファレンスが数多くちりばめられているので、これもできるだけ洩らさず訳に表現するよう気を配ってあります。訳者は「福岡現代英国小説談話会」を主宰する福岡女子大学の吉田徹夫教授を始め、総勢10名です。一冊の小説を複数の訳者で訳すことについては賛否両論あるでしょう。しかし、単独訳者では見落としていたかもしれない多くの相互参照点や文体上の工夫などを、互いに指摘し合い訳出のアイディアを出し合うことができたという点では、有益な作業形態であったと考えています。

 ゴールディングは『蠅の王』でしか知らない、という読者にも、この作家の偉才を再認識させる迫力とスケールを持った作品です。どうぞご一読ください。

 

随  想

 

Gawain-tripの思い出

竹 田 津 進(長崎県立大学)

 二年前英国 Sheffield 大学を客員研究員として訪れていた私は、Burnley 教授やLester博士の講義を聴講させていただくという光栄にあずかった。Lester 先生の Sir Gawain and the Green Knight (SGGK) では、講義の一環として Gawain-trip というフィールドトリップが組まれていた。それは Gawain-poet にSGGKの風景描写のインスピレーションを与えたといわれる Derbyshire のヒースの丘への日帰り旅行であった。(その年 12月に予定されていたこの小旅行は、 Lester 先生の御尊父ご逝去のため翌年3月まで延期された。)Lester 先生に引率された、社会人学生を含む10名ほどの一行が到着した3月上旬のヒースの丘は強風が吹き荒れことのほか寒かった。特に SGGK 713行から739行にかけて描かれた Sir Gawain の試練の旅も、初冬であればさもありなんと思われるほどであった。昼の短い天候厳しいイギリスの長い冬を暮らし、この小旅行を経験したとき初めて SGGKのこの一節の意味が理解できた気がした。

 ところでこの小旅行の折り、かねてよりSGGK には skin という語が使われていないのではないかということが頭の片隅に引っかかっていたので、先生にそのことを伺ってみると「どうかな、コンコーダンスで調べてごらん」というふうにおっしゃられた。後日、調べた結果をお見せしたとき Lester 先生は少し驚いた顔をされた。会報2号の小文を書くに至ったきっかけである。

 蛇足ながら、帰途 Derbyshire のある村の一角にある Lester 先生のご自宅にお招きいただき、奥様より茶菓のもてなしを受けたが、それなりの邸宅を予期していた私は、先生の住居の質素さにいたく驚き感銘を受けたことを付け加えておきたい。

 

は が き 通 信

 

飯 田 一 郎 (西南女学院短期大学)

 2000年1月より3月まで勤務先の姉妹校である米国のMercer University (Macon, Georgia) に交換教授として派遣され、「異文化ビジネスコミュニケーション」を週3回、合計30回、一年分の集中講義を行いました。学生はビジネススクールからの院生2名、学部生14名、国籍はアメリカをはじめスェーデン、チェコ、インド、パキスタン、韓国、日本でした。前半、アメリカの講義方法になれるまでは徹夜の連続でしたが、後半から余裕ができ、大学から貸与されたフォードで週末は学生とドライブを楽しめるようになりました。アトランタ北部からメイン州まで延びるアパラアチアン・トレイルの一部を歩けたことが良き思い出になりました。

 

家 入 葉 子(神戸市外国語大学)

 英国マンチェスター大学での在外研究を終えて、3月29日に帰国いたしました。マンチェスター大学の英米学科では、英語史全般、古英語、中英語の各分野について、それぞれ複数の研究者を擁し、文学・語学の両面にわたって史的研究が盛んに行われています。これに古文書学の研究者や歴史学科に所属する多数の歴史家が加わり、Manchester Centre for Anglo-Saxon Studiesの各種ワークショップや講演会、Manchester Middle English Seminarなどが開催されています。さらには、英米学科の大学院生が企画運営するManuScript Conferenceが毎年開かれ、論文集ManuScriptが編纂されています。言語学科でも、The Manchester Postgraduate Linguistics Conferenceが、毎年大学院生の手で開催されています。一年間の滞在を通して、研究の成果を積極的に交換していこうという姿勢を、各方面にわたって強く感じさせられました。なお、マンチェスター大学における中世研究の一部を、「マンチェスター大学における中世研究」というタイトルでMES JAPAN News(日本中世英語英文学会会報)のNo. 30(1999年)に紹介させていただきました。

 

隈 元 貞 広(熊本大学)

 現在、Kenyon (1909)を検討しながら、より網羅的なチョーサーの不定詞研究の可能性を探っています。また Kenyon (1909)、Tajima (1972) 等をベースに、ME脚韻ロマンスの不定詞を調査、比較検討するのも興味深い方向になるのではないかと考えています。例えば、Kenyonが提示しているようなチョーサーの不定詞とME脚韻ロマンスの不定詞を比べますと、その用法と役割に明らかに違いがありますので。

 

下 笠 徳 次(山口県立大学)

 研究社『大英和辞典』(第5版)が出てから丁度20年経過し、この間、時代の目まぐるしい進展とともに多くの(特に科学の)語彙が生まれています。時代の要請でわが国を代表するこの辞典も改訂を迫られ、21世紀の初頭に第6版が上梓される予定です。小生は語源欄の担当(3人のうちの1人)で、第5版の記述を原則的には踏襲しながら最新の語源学の成果を採り入れ、再構築しています。同社の『英語語源辞典』(1997)の記述は詳細を極めていますが、それよりは簡略化されます。ラテン語の格変化の語尾を示すハイフン(-)はすべて除去されます。基本語彙でサンスクリットに帰着する語はすべて記述します。小生、サンスクリット読書会で5年間読みの訓練を受けてきておりますのでここで役立っています。サンスクリットは古英語に酷似していて、性・数・格が厳然としていますので、語順に関係なく解読できます。この古典語にも韻文と散文があり、比較が面白いです。

ところで、この改訂作業でもう一つの大きな留意点は初出年の見直しです。新しい文献等で従来の初出例よりさらに遡る例が少なくありません。MEに遡る語はMED に依拠します。そして、新たに新語が多く加わりますが、これはOED onlineを利用します。2000年(3月14日)という初出年も登場します! すごいですね。初出の用例を確認するのに神経がすり減ります。OED で、最初のところに出て来るのが必ずしも英語としての初出例とは限りません。「非」英語が結構多いのです。ともあれ、新記述にあたって多くの規則が設けられていますが、この種の大型辞典では完全な統一は至難の業、ということがわかります。担当者3人の記述が微妙に異なります。これを統一するのが小生の最後の仕事で、いま緒についたばかりでこれより集中して約1年が費やされることになりそうです。ことばの神髄を追い求めていく仕事なのでとても楽しくもあります。

 

添 田  裕(福岡大学)

 長崎大学教育学部に在職した32年のうち大半は「英語史」と「英語音声学」を同時に担当した。現在は福岡大で後者に重点を置いている。近年コンピュータの出現とともに、音声分析機や分析ソフトの開発は目覚しく、調音音声学から音響音声学への移行が容易になってきた。福岡大に昨秋Kay社のCSL(Computerized Speech Lab)が入り、院生と学部生のゼミにとり不可欠のものとなっている。英語史の研究は統語論が中心である中で多少異質ではあるが、20世紀後半のRPの発音の変化を音響的に分析することを次の課題と考えている。そのためにはまず資料の収集が肝要である。

 

濱 口 恵 子(土佐女子短期大学)

 田島先生より「英語史研究会」入会のお誘いを受け、第3回大会に初めて参加させていただきました。宜しくお願いいたします。主に、チョーサーのファブリオや女性について研究してまいりました。今はポストコロニアルの視点から、チョーサーの非西洋の女性の表象について研究しております。英語史や英語学には門外漢の私が、「英語史研究会」に参加する資格があるのかしらと不安な気持ちで、会に臨みました。少々遅く到着したにもかかわらず、皆様に温かく迎えていただきまして、なごやかな明るい雰囲気に内心ほっと安堵いたしました。文学研究も、テキストを丁寧に読んでいくことからスタートしますので、本来、語彙やシンタックスに無頓着であってはならず、この会にそのことを教えていただいた気がします。また、新しい分野に思い切って足を一歩踏み出す喜びと、新(?)1年生のような新鮮な感動を覚えました。現実には「フレッシュ」な新1年生とはいかず、だいぶ、くたびれかかっておりますが、ここで、ぜひ、「リフレッシュ」して、学んでいくつもりですので、今後とも、ご指導くださいませ。

 

東  真 千 子(九州大学大学院修士課程)

 英語史研究会に参加させていただいて今回で2度目になります。前回は初めてのことばかりで少々緊張しておりました。今回もいい意味で緊張を保ちつつ、先生方の発表から多くのことを学び、かつ英語史の知識にも幅ができたように思います。

 私は現在、19世紀アメリカ英語における周辺的法助動詞Need, Dare, Ought, Used (to) の用法について調査を進めております。このテーマでは、これまで19世紀のイギリス英語と現代アメリカ英語を調査して、2編レポートを書いておりますが、今準備中の修士論文では、前のレポートでは扱わなかった社会言語学的視点を取り入れた分析を行いたいと思います。

 

水 野 政 勝(北海道教育大学札幌校)

 今回の平成12年3月25日(土)に九州大学で開催された英語史研究会第3回大会に参加しました。田島先生には私が北大大学院の院生の頃からご指導をいただき、日本英文学会北海道支部の大会の折、大変貴重なご意見をいただいたことを昨日のように思い出します。

 私は主に英語史、特に初期近代英語期の統語面での研究を続けております。田島先生が北大の英文研究室におられた頃(昭和48年頃)、先生から中英語の準動詞について研究された論文の抜き刷りをいただいたことがあります。そのときに原文にあたり綿密な読みが大変重要であることを学びました。現在、私は関係詞の用例をシェークスピアの作品から拾い、初期近代英語の一端を考察しております。

 今回の英語史研究会の大会の開始前に先生の研究室に寄らせていただいた折、先生が「欧米の学会に見られるようにサロン的な雰囲気の中で研究会をおこないたい」という趣旨のことを話されました。私も全く同感です。英国の大学の研究会等に参加した時の経験から本当に大切なことと痛感しております。そうでありながらも今回の質疑やコメントにはレベルの高い内容のものがあり、教えられることが多くありました。また、次回の研究会の大会も今から楽しみです。先ずは、英語史研究会第3回大会に参加したことの感想と自己紹介をさせていただきました。

 

大 和 高 行(鹿児島大学)

 ここ鹿児島では、近代初期のイギリス演劇に興味を持つ若手研究者が月1回のペースで集まって、読書会を開いています。これまで、Thomas Norton, Thomas Sackville の共作とされている Gorboduc (1565) とThomas Preston の Cambyses (1569) を読み、両作品ともひとまず全訳を終えました。

 私自身としては、Beaumont and Fletcher, Chapman, Jonson, Marston, Dekker, Ford, Greene, Heywood, Kyd, Marlowe, Middleton, Tourner, Webster 等の劇作品を読み進めています。中でも、近年 Anne Barton, David Norbrook, Martin Butler, Julie Sanders のラインで再評価されているJonsonの後期の作品 The Staple of News (1626) や The New Inn (1629) はとても楽しく読めました。

 テクストを一語一語確認しながら丹念に読み進めていく作業はとても骨が折れますが、これなしに作品を深く掘り下げることなど到底不可能でありましょう。そのようなことを常々実感しつつ、英語史研究会会員のうち、文学畑の私のような者と英語学を専門にしておられる方々とは、実は学問的に近しい関係にあるのではないかと感じております。大会に出席して英語史研究の諸成果に啓発を受けると共に、近代初期のイギリス演劇に関する文学的なお話をさせていただく機会もいずれ持てればと思っております。

 

第 3 回 大 会 報 告

 

末 松 信 子(事務局)

 英語史研究会第3回大会は2000年3月25日午後1時より5時半まで、福岡市の九州大学六本松キャンパスで開催されました。公務のため出席できなかった方も数名おられましたが、北海道をはじめ、北陸、四国からの出席者を含め24名に上りました。出席者数は会を重ねる毎に増加しておりますが、今回は特に非会員の参加が目立ちました。総会の後、以下の発表が行われました。

 松元浩一「 'Young as he is' 型構文に見られる前置要素の特徴について」(司会 許斐慧二)、末松信子「Jane Austen に於ける進行形」、村田和穂「 Defoeのフィクションにおける Verb-Adverb Combinationについて?Moll Flanders (1722) を中心に?」(以上、司会 隈元貞広)、小城義也「Schmidtに学ぶLanglandの詩法」、田島松二「A Syntactic Note on Piers Plowman B.V.379」(以上、司会 下笠徳次)。

 4時間半にわたり、歴史的視点を取り込んだ研究発表と真摯な質疑応答が展開されました。発表会終了後、同会場にて懇親会が開かれ、和気藹々とした雰囲気の中で研究談義に花を咲かせ、親睦を深めることができました。研究会出席者(五十音順)は飯田一郎、隈元貞広、小城義也、許斐慧二、小松義隆、島村雅子、下笠徳次、末松信子、竹田津進、田島松二、野仲響子、濱口恵子、東真千子、松田修明、松元浩一、水野政勝、壬生正博、宮原一成、村田和穂の会員に加えて、非会員の永尾智、西山公樹、馬渡悠佳子、安丸雅子及び香川大学学部生1名の計24名でした。

 

第3回大会研究発表要旨

 

'Young as he is' 型構文に見られる前置要素の特徴について

松 元 浩 一(長崎大学)

 譲歩を表す 'Young as he is' 型構文の節頭に置かれる要素は叙述的要素であると一般に言われる。

 (1) Young as he is, he is looked up to as the leader of the group.

 また、歴史的にみると、この構文は既に初期ME頃には存在することが知られており、また、比較節に由来すると言われている。したがって、次のように程度や段階性を表す要素の前置が予想される。

 (2) (As) cold a night as it is, he could wish himself in the Thames up to the neck. [Jespersen, MEG, III, p.127]

しかし、(1), (2)とは異なる、「拡張的な」例も観察される。

 (3) Change your mind as you will, you will gain no additional support.

 本発表では、 'Young though he is' 型譲歩構文との違いも考慮して、(1)から(3)に示した前置要素の特徴について論じた。本構文の前置要素に関する統計等の実質的な調査報告については次の機会に譲りたい。

 

Jane Austenにおける進行形

末 松 信 子(長崎国際大学)

 進行形は、OEにその起源がありながら、比較的盛んに使用され始めたのは、17世紀に入ってからであり、その用法が実質的に現代的となるのは17世紀後半である。そして1800年以降にその使用が急速に増加したと言われている。Austenが執筆活動を行った18世紀末から19世紀初頭は進行形の用法が現代的になり、その使用頻度が急速に増える時期と重なっている。本発表では、そのAusten の進行形に関して、歴史的に見て特に興味深い用法を中心に考察した。そして、 Austenでは進行形の基本的な時制、機能はいずれも確立しているが、一般に19世紀から20世紀になって発達したと言われている受動進行形、明確な形でのbe動詞の進行形、助動詞の役割を果たす 'have to'、「have + 目的語 + 過去分詞」構文のhaveの進行形はまだ用いられていないこと、逆に旧来の能動受動態進行形 'The house is building' 型がかなり用いられていること、また今日では用いられなくなった現在分詞、動名詞の進行形が用いられていることを指摘した。

 

Defoe のフィクションにおける Verb-Adverb Combination について

Moll Flanders (1722)を中心に―

村 田 和 穂(有明工業高等専門学校)

 Daniel Defoe (1660-1731) のフィクションには verb と adverb particle が組み合わされた形がよく用いられる。そのような用例は、例えば sit down のように動詞と副詞のそれぞれの意味から全体の意味が類推できる "free combination" (Quirk et al.) から、put off [= postpone] のように比喩的な意味合いを持つ "phrasal verb" まで極めて多種多様である。今回の発表ではこの両者を共に verb-adverb combinationとして扱い、Moll Flanders からの用例を中心にこのコンビネーションの「かたち」 (form) と「意味」 (meaning) の多様性について調査した。

 「かたち」では、 verb-adverb combinationの自動詞的用法と他動詞的用法の問題点を考察したが、他動詞用では3つのタイプ、(1) 目的語が省略される場合、(2) empty it が挿入される場合、(3) shake off (sad reflections) のような心理描写に発展する場合、に焦点を絞った。「意味」の問題では、多義性 (polysemy) と同義性 (synonymy) の問題を中心に扱った。その結果として、 verb-adverb combinationは、少なくともMoll Flandersにおいては、語り手 Moll の用いる当時の "Lower-Class English" の特徴を反映した重要な表現となっていることを明らかにした。

 

A Syntactic Note on Piers Plowman B. V. 379

田 島 松 二(九州大学)

 OEやMEといった中世研究において、最も重要にしてかつ困難な作業となると昔も今もテキストの正確な読み、理解ということに尽きるであろう。不明な箇所にくると、いきおい現代語訳や注釈、グロッサリー等に安易に頼りがちであるが、一つひとつの字句やシンタックスにこだわりながら、語学的に厳密にテキストを読んでみると、従来の解釈が必ずしも正しいとは限らない箇所にしばしば遭遇する。そのような一例として、W. Langland のPiers Plowman B. V. 379 ('This shewyng shrift,' quod Repentance, 'shal be meryte to the.')を取り上げて、shewyng は一般に考えられているような限定用法の現在分詞ではなくて、shrift を目的語とする動名詞ではないか、つまり 'This showing of your shrift' と解釈すべきではないかということを文脈、シンタックス、写本の点から論じた。(なお、詳しくは近刊のNotes and Queries (Oxford), Vol. 245 , No.1 (March 2000), pp. 18-20を参照されたい。)

 

会 員 消 息

 

家入葉子(神戸市外国語大学)英国マンチェスター大学での在外研究を終えて、 3月29日に帰国。

太田垣正義(鳴門教育大学) 従来からの四国英語教育学会副会長、全国英語教育学会理事、大学英語教育学会評議員、日本教育実践学会編集委員に加えて、本年4月より鳴門教育大学英語教育学会会長並びに小学校英語教育学会理事に就任。

隈元貞広(熊本大学) 本年1月1日付で同大文学部教授に昇任。

許斐慧二(九州工業大学) 本年4月より英語コーパス学会の運営委員に就任。

島村雅子(九州大学大学院比較社会文化研究科修士課程) 本年4月1日付で 九州文化学園高校常勤講師に就任。

末松信子(九州大学大学院比較社会文化研究科博士課程) 本年4月1日付で長崎国際大学人間社会学部講師に就任。

竹田津進(長崎県立大学) 本年4月1日付で同大教授に昇任。

田島松二(九州大学) 本年1月5日より8日まで、鹿児島大学法文学部において「イギリス中世の言語と文学」と題する集中講義を行った。また組織再編により、4月1日付で言語文化部より大学院言語文化研究院並びに大学院比較社会文化学府に配置換えとなる。

田中俊也(九州大学)本年3月14日?4月4日まで英国マンチェスター大学で研修。また組織再編により、4月1日付で言語文化部より大学院言語文化研究院に配置換えとなる。

中尾佳行(広島大学) 組織再編により、本年4月1日付で学校教育学部より教育学部第三類(言語文化教育系)英語文化系コースに配置換えとなる。

渡辺秀樹(大阪大学) Neuphilologische Mitteilungen (Helsinki, Finland), Vol. 101, No. 1 (2000), pp. 51-57 に "Final Words on Beowulf 1020B: brand Healfdenes"と題する論文を発表。

 

新 入 会 員

 

 1999年12月15日以降の新入会員(五十音順)の方々は次の通りです。

 

太田垣正義(鳴門教育大学)

中尾佳行(広島大学)

西村秀夫(神戸大学)

濱口恵子(土佐女子短大)

水野政勝(北海道教育大学)

毛利史生(福岡大学(非))

渡辺秀樹(大阪大学)

 

事務局からのお知らせ

 

 第4回大会を2000年(平成12年)9月30日(土曜日)に予定しています。会場は前回と同じ、福岡市中央区六本松の九州大学六本松キャンパスです。研究発表ご希望の方は発表要旨 (400字程度)を添えて、8月15日(火曜日)までに、事務局までお申し込み下さい。

 事務局に近い将来「英語史研究会」のホームページを開設するつもりですが、当面は許斐会員のURL (http://www.lai.kyutech.ac.jp/~konomi/eigosi1.html)をご覧下さい。

連絡先、所属等の変更、新入会員の推薦・紹介等についても随時事務局までお知らせ下さい。

 

編 集 後 記

 

★ 会報第3号をお届けします。第2号の小野茂先生に続いて、今号には近代英語研究で数多くのすぐれた業績を上げておられる小野捷先生(愛媛大学名誉教授)に特別にご寄稿いただきました。先生には直接お目にかかったことはありませんが、九州(大分県)出身ということで、九州の地で産声を上げた本研究会を熱心にご支援いただいております。先生ご自身の体験に基づく英語史研究、とりわけ近代英語研究の実際が語られており、私どもにとって学ぶところ多い「近代英語研究のすすめ」です。ご熟読下さい。

★ 今号も研究ノート、新刊書紹介、随想、はがき通信、等々盛りだくさんになりました。新刊紹介のうち2点は、会員が参加している共訳書の紹介になりましたが、文学研究をも視野に入れた英語史研究を目指す我が研究会にとって、その目標の一つがはからずも具現されたことになり、喜ばしいことであります。多忙な中、原稿をお寄せ下さった方々に心からお礼を申し上げます。

★ 欧米の伝統的な英文科では必須の「英語史」を、わが国では教えるところが少なくなりました。巷でいわれる知的エネルギーの衰退と関係があるのでしょうか。英語英米文学研究の礎ともいうべき「英語の歴史」を知らない文学、語学研究にいかほどの価値があるのものか、と愚考する昨今です。

★ 本研究会発足以来、賛助会員の開文社出版、南雲堂、ナウカ福岡営業所には物心両面にわたり、多大のご支援をいただいております。この場を借りて、深甚の謝意を表したいと思います。

★ 4月中旬から始めた編集作業・版下作成も5月の連休明けには実質上終わりました。校正段階では、今回も許斐慧二運営委員、新任地から駆けつけてくれた末松信子事務局員にお世話になりました。ありがとうございました。

(2000年5月10日 田島松二記)